2017年文学フリマDebby Pumpアワード

この一年で文学フリマに出品された作品の中から、特に優れたものを、Debby Pumpが独断により決定し表彰する賞。(※文学フリマ事務局様公式の企画ではありません)

最優秀小説作品賞 選評

 

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『ハッピーヒッピー』

 今回の小説作品賞ノミネート作の中で、最も魅力的に描かれたキャラクタは『ハッピーヒッピー』の色麻さんであると思う。この作品はおよそ二千数百字と比較的短いものの、女性の多い職場の中で軽視されながら、そんなことは意に介さず我が道を行く色麻さんという男の魅力を充分に描きあげている。本作に登場する女性たちの陰口はぞっとするほどリアルで、だからこそ、終盤の色麻さんの行動が読者の目には強く煌めいて映る。

 ゴディバのショコリキサーやハッピー・ヒッピーなどの都会的な小物は舞台に説得力を与え、かつストーリーの展開に繋がり無駄がない。

 先述の通り二千数百字と短い作品ではあるものの、短編小説の面白さが凝縮されており、読み応えのある作品だった。

 

 

『無題#1』

 この作品は元々twitter上で発表されたという「140字小説」である。当然、今回の最優秀小説作品賞ノミネート作の中では最も短い。しかし、その短さの中に物語がはっきりと構成されており、きちんと小説として成り立っている。下に記すあらすじで、字数の話は一旦置くとして、そもそもこの作品が情緒に満ちた素晴らしい小説であるということはわかって頂けるだろう。

「真夜中のオフィスビル、主人公は残業を終えた会社員。彼は外に出て、缶ジュースをぐいっと飲み干す。その時ふと眼に映った月の欠けた姿が缶に開いたプルタブ穴と重なり、自分が缶の底から小さな出口を覗き見ているような気持ちを抱く」

 このあらすじで、ある人は二千字の小説を書くだろう。またある人は四千字書き、別のある人は二万字書くだろう。しかしこの作者は、わずか百四十字以内で表現することを選び、それに成功している。

 この作品の特に優れたところは、文字に描かれていないもの、余白を想像する必要がないところであると思う。主人公の仕事は何だろうか? どんな人だろうか? “小さな出口を覗いているような気がした”この人物はこれから何をするのだろうか? 短い小説を書く人は得てして、そういった余白を読者に想像させるよう描写してしまう。もちろんそれが成功することはある。多いと言ってもいいくらいだろう。しかしこの作品は、そんな想像を読者に強要しない。ただ、描いているのだ。どこかにいる誰かがふいに抱いたささやかな気持ちを、ただ描いている。それ故に生まれるうつくしさせつなさを、この作品はしっかりとものにしている。

 

 

『祝福』

 この作品の特別な魅力は、なんと言っても、展開のスピード感に尽きるだろう。一段落で必ずひとつふたつと展開が進んでいく小説は、今回ノミネート作選定中に読んだ作品群の中でこの作品が唯一だった。ふつうの小説だと溜めて溜めて解き明かし読者にカタルシスを与えようと狙う設定を、一段落であっさりとばらしてしまう。通常ではありえないスピード感が、本作においてはその神話物語と妙に噛み合い、不思議な説得力を生み出している。

 文字数に対し異様なほど多い展開数の果てに辿り着くラストシーンも、また見事。“使うまいと決めていた忌々しい力”を使ってしまったアトゥールの姿は、それまで彼が憎んできた身勝手な女神たちの姿と重なる。それは一方で、彼と対面する女神ジートの姿がかつてのアトゥールと重なることとの対比になっている。

 それから彼らがどうなったのかはわからない。ただ、作者の頭の中には、これからの展開のイメージもあるのではないかと思う。のみならず、作中では詳しくは描かれなかった街の情景や人々の営みも、きっと想い描かれてはいるのだろう。その広大な世界から、たった一人の男の半生にだけ焦点を絞り物語をまとめ上げたことをこそ、私は評価したい。

 

 

『Vertigo』

 私はときおり、小説作品の最後の一文を読み終えて、無意識に拍手してしまうことがある。この作品を読み終えたときも、そうだった。

 この作品には構造として、一本筋通ったストーリー展開がない。近衛の周囲で起こる出来事を、断片的に描き続けている。謎が解かれるわけでもなく、恋が成就するわけでもなく、主人公が強く成長するわけでもない。佐藤の息子が失踪した事件の真実も、核爆弾が落とされた理由も、大迫という人物の正体もわからない。何も起こらない。近衛という人物の正体もわからない。様々な事件が起こり続けているはずなのに、何も起こっていないように見える。この奇妙な乖離感は、本作終盤の“世界は動いた。この街は動かない。”という一節により的確に表されている。

 この作品が描こうとしているのは、現代とか現実とか呼ばれている、あの不確かな概念ではないだろうかと思った。世界では当たり前に事件が起こり続けていて、そのすべてを見つめようとするにはあまりに広い。それ故か、私たちはしばしば目に映ったものへさえ興味を失う。そしてときおり、自分自身のことさえもが、興味の対象でなくなる。主人公たる近衛について、結局のところ何もわからぬまま作品が語られ終えるのは、その現象を示唆しているように思えた。

 唯一詳しく語られるものといえば、物語の舞台、埼玉県川口市である。本作はWikipediaからの引用という離れ技を用い、文庫本にして八ページ強を埋めている。この意味は何なのか。“ところで川口市では何が起こっただろう? 近衛が住む川口市の、この何もないベッドタウンでは、特に何も起きなかった。”と、本作は序盤で明言した。しかし、当然、何もないわけではない。五千字と少しをかけて語るだけの何かは確かにあるのだと、Wikipediaは証明している。それにも関わらず、川口市には何もないのだと本作は言う。

 様々な事件が起きているのに何も起こっていないように見える物語の中で、何かは確かにあるのに何もないように見える川口市について語られている。つまりはこういうことなのである。作者は意図して、この対応関係を作中に作り上げた。そのために、作者の言葉ではなく、作中人物の言葉ではなく、Wikipediaの言葉が必要だったのだ。誰かひとりの言葉ではいけない。あくまでどこかの誰かが語った集合体としての川口市の説明が必要だった。

 この作品では、描かれる断片と断片をつなぎとめるように、同じフレーズが幾度も繰り返される。このフレーズが終盤に来て作品をぐっと面白くしているのだが、そのことについてこの場ではこれ以上語らないこととする。既読の方には説明不要であろうし、未読の方には是非とも自身で本作を読んで確かめてみてほしい。

 作者の非常に高い小説技術が、小説でしか表現し得ない作品を作り上げた。傑作である。

 

 

『ネイルエナメル』

 この作品の優れた点を挙げていくとなるときりないが、なかでも突出したものと言うと、人間関係の揺らし方であると私は思う。

 この物語は、主人公の純子が抱く、クラスの中で“飛び抜けて大人っぽい”ナツへの憧憬を発端とし動き続ける。純子は勉強も運動も得意でない。本も読まない。恋人もいない。そういう場所から、彼女はナツへ追い付こうとあがく。得意な絵画を使って、ナツの幼馴染であるたくみくんを使って、果てには……。それらのクエストを通し、彼女はついにナツを追い越してしまう。だから、ラストシーンにて裏返った声で名前を呼ぶのはナツであり、純子でない。二人の関係性は、ラストシーンで逆転する。

 その過程、クエストの組み立てが非常に上手い。二人を中心とし、人間関係がめまぐるしく揺れ動き続ける。そしてその揺動は、純子が、ただナツに追い着くためだけに発生させたものなのである。「背徳」を見事に、実に見事に描いた作品だった。

 いささか展開が性急に過ぎるものの、補って余りある魅力に溢れている。とはいえこの作品は、二倍の文字数でもっとゆっくりと描かれていてもいいのではないかとも思った。

 また、個人的には、タイトルにもなっている“ネイルエナメル”がいまひとつ効いてこないのが残念だった。純子にとってナツのネイルエナメルが、たとえば『金閣寺』の溝口にとっての金閣のような存在になるのだろうかと予感しながら読み進めたが、そうはならなかった。

(それにしても、たくみくんはあまりにもかわいそうだなあ。と余談)

 

 

【最優秀小説作品賞 総評】

 奇しくも本部門のノミネート作品五作にはいずれも長さ、文字数がはっきりと違う作品が並んだ。私自身、ノミネート作品発表後に気付き驚いた。最も長い『ネイルエナメル』がおよそ六万数千字、大きく飛んで『Vertigo』が二万数千字。再度飛び『祝福』が五千字弱、『ハッピーヒッピー』はその半分程度の二千数百字。そして「140字小説」の『無題#1』。

 小説とは面白いもので、『ネイルエナメル』に対してはもっとゆっくりと語られてもよかったのでは感じたのに対し、『無題#1』にはこれ以上何を足しても蛇足であるような気がする。もちろん、扱う題材の違いであったり、そもそも物事とは知れば知るほど更に知りたくなるものだというのはわかっているが、今回の選考を通じ、小説というものの面白さを再確認できたように思う。

 

 当選作は、日谷秋三(Lousism)『Vertigo』とした。

 「現代」を描いた強いメッセージ性と、小説でしか表現できない作品を作り上げた作者の圧倒的な小説技術の二点、特に後者が大きな決め手となった。