2017年文学フリマDebby Pumpアワード

この一年で文学フリマに出品された作品の中から、特に優れたものを、Debby Pumpが独断により決定し表彰する賞。(※文学フリマ事務局様公式の企画ではありません)

最優秀詩歌作品賞 選評

 

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『オオオミアシノ、カンパネルラ』

 非常にスケールの大きな、シュルレアリスム詩編である。アルチュール・ランボーの影響を受けているのだろうかと少し思ったが、だからなんだということはない。この作品には確かな個性がある。

 現実にある何かを描いているのではないのだと思う。作者の頭の内、溢れかえらんばかりの想像を書き出したものなのだろうと私は読んだ。“青年は語るのをやめない”という一節はそれを示唆しているようにも思う。

 正直に言って、作品の「意味」はわからない。しかし、胸を打たれた。作品自体が理解されることを求めていないとき、読者にできるのは、ともかく何かを感じ取ろうとアンテナをひたすらに伸ばし続けることだけである。この作品には、そのアンテナを伸ばさせる強い力があった。私がかつてないほどにアンテナを伸ばした先、そこにしかない何かをたしかに受信したような気がする。まだその正体はつかめていない。

 

 

『納豆を2パック買ってこの町は海を潰して作られた町』

 最優秀詩歌冊子賞『水星たちの夜』の選評とおよそ被るため、失礼ながら割愛する。もっとも優れていると感じたこの一首を、こちらでもノミネートした。

 いかなる感情も、ここにははっきりと書かれていない。それでも読者の心には、そっと哀愁らしきものが浮かび上がる。

 

 

『手術前日』

 七首連作の短歌作品。

 病院の中にあるあの特有の息苦しさのようなものが、はっきりとした言葉ではなく、短歌と短歌の間の空白からじわりと滲ませるよう表現されている。それは、短歌そのものが孕む不穏さによって醸し出されるものなのである。

 手術前日に病室で手を繋ぐ“ふたり”を、結婚前夜のようだと見立てる切なさに心を強く打たれた。

 

 

【最優秀詩歌作品賞 総評】

 詩編と、短歌一首と、連作短歌がノミネート作品として並び、自分で選出しておいてなんだが、当選作の選考はひどく悩ましいものとなった。それぞれに武器とする要素も大きく異なり、ある意味ではたしかに面白くもあったが、やはり苦しみの方が強かった。

 

 当選作は、遠藤ヒツジ『オオオミアシノ、カンパネルラ』とした。

 詩とは、正体のつかめないものであっても良いのではないかと思う。

 作品を理解できないとき、読者はそれを見捨てることもある、何かを感じ取ろうと必死であがくこともある。この作品には、読者を後者へと導く強い力があった。それは実に、得難いものなのである。