2017年文学フリマDebby Pumpアワード

この一年で文学フリマに出品された作品の中から、特に優れたものを、Debby Pumpが独断により決定し表彰する賞。(※文学フリマ事務局様公式の企画ではありません)

受賞者コメント

 

 お世話になっております。Debby Pumpです。

 あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。

 

 各賞受賞者の皆様にコメントをお願いしましたところ、快くご対応いただけましたので、こちらに掲載いたします。

 まだコメント執筆中の方もいらっしゃいますが、私が受領でき次第随時追加する形とさせていただきます。

 

 順は、当選作発表等における各賞の順と合わせます。

 

●最優秀小説冊子賞 『猫の都合をきいてきて』

斉藤ハゼ様(やまいぬワークス)

このたびは「最優秀小説冊子賞」に拙作「猫の都合をきいてきて」をご選出いただき、ありがとうございます。

常々テキストを書く上で、誰か一人が読んでくれたらいい、その一人と出会うために、最大限に整え研ぎ澄ましたものを作ろう、と思っています。
その、一人、は、まったくの知らない人がいい。
知り合いだから読むとか、そういうのは有難いけど、嬉しさとしては二の次です。

一番の願いは、まったくの知らない人に読んでもらうこと。
そして出来たら、本を通じて、何かを渡せたらいい。
ずっと、そう考えていました。

今回の受賞は、私の本が一人の読者によく読まれ、届いた、確かな証です。
読んでいただき、本当にありがとうございました。

 

 

●最優秀詩歌冊子賞 『水星たちの夜』

 ちずぐみ様(犬と南港)

このたびは拙作をご選出頂き、誠にありがとうございます。発表のありました年末から今に至るまでひしひしと喜びを感じております。
これまで徒然なるままに書き留めていた短歌を、行ってこい!と、今回初めて作品として世に送り出しました。
それらがまさかこのように丁寧に選評して頂けるとは本当に予想外で、全く幸せ者です。
それにしてもデビー・ポンプ様の選評は、作者自身よりも作品のことをわかっていらっしゃるのではないかという…はっとさせられるものでした。うふふ

最後に、このような素敵な企画を立てて下さったデビー・ポンプ様に改めてお礼を申し上げます。

 

●最優秀小説作品賞 『Vertigo』

日谷秋三様(Lousism)

どうも、日谷秋三と申します。まだまだ到らぬ身ではありますが最優秀小説作品賞に選んで頂きまして誠に有り難う御座います。とても素晴らしいレビューまで書いて頂いて「凄い! 作者だけど俺こんなに詳しく自分の作品を説明出来ない! ノリと勢いで突っ込んだWikipediaまでちゃんと意味を説明してくださっている!」と感激の極みであります。些か取っ付きにくい作品ばかり書いていると言われておりますが、これからも皆様宜しく御願い致します。

 

 

  ●最優秀詩歌作品賞 『オオオミアシノ、カンパネルラ』

 遠藤ヒツジ様

この度「2017年文学フリマDebby Pumpアワード」の最優秀詩歌作品賞に選んでいただきました。
まずは主催であり選者のDebby Pump様に感謝します。
それからアワードのきっかけとなっている文学フリマと、本アワードに興味を持たれた方々へ感謝します。
そして、拙作「オオオミアシノ、カンパネルラ」が掲載された『次なる宇宙のために』を編纂してくださったメルキド出版-エクストラへも感謝します。

私事ではありますが、かつて書いた拙作にはこんな詩語があります。
 <詩は誤読されてかまわない/詩人は誤記するばかりだ>(「しとねるシーツ」)
私の書いた詩のすべては読者にそっくり受け入れられはしないし、詩人も詩の本質をそっくり言葉に書き写すことはできない、という意味を込めた言葉です。
また同時に詩はどのように読まれてもいいし、詩人はどのように書いても構わないという自由への宣言でもあったように思います。

今回、Debby Pumpさんが<正直に言って、作品の「意味」はわからない。しかし、胸を打たれた>という言葉は僕の詩的態度にとても寄り添ってくれました。わからないけれど伝わっている――そのことが嬉しく思いました。
「オオオミアシノ、カンパネルラ」を通じて、読者と作者が互いに別の詩的論理を読み取ることができた――嬉しい年納めの受賞でした。
光栄に思います、多くの皆様に改めてありがとうございました。
(遠藤ヒツジより)

 

 

●最優秀エンタメ賞 『味噌からの自炊学 Ⅱ+B [麦茶ート式]』

 神聖自炊帝国様

 こんにちは。神聖自炊帝国です。
 今回は「最優秀エンタメ賞」をいただけたこと、大変嬉しく思っております。このように素敵な賞を受けるのは、夢の中でノーベル文学賞を受賞して以来のことです。
 この『麦茶ート式 自炊学II+B』は名前からもわかる通り、茶ート式自炊学シリーズの二作目です。一作目は『抹茶ート式 自炊学I+A』ですが、現在はどちらも在庫切れになっています。本書と偶然にもパッケージがよく似ている某有名出版社の参考書がありますが、それと勘違いして購入された方が多かったせいでしょう。
 自炊学シリーズのコンセプトは『何の参考にもならない参考書』です。この一見矛盾した概念を実現するため、我々はただでさえ少ない脳味噌をぎゅうぎゅう振り絞って原稿を生み出しました。それでも思うように字数が増えなかったため、苦し紛れに宮沢賢治を引用し、ウィキペディアを借用し、他人の作品のアイディアを盗用し、どうにかこうにか本としての体裁を整えました(ただし他人のアイディアを盗用した部分については、残念ながら検閲に引っかかって出版前に削除されてしまいました)。
 そうして完成した本書は、着火剤にしては心許なく、鍋敷きにしては断熱性に欠け、重石にしては軽すぎ、団扇にしては嵩張るものとなってしまいました。別の何かと間違えて購入してしまった方々は、それぞれの好きな方法で本書を精一杯活用してください。万が一これを本だと思って購入してくださったのなら、これ以上の喜びはありません。
 今後とも帝国民一同、より一層ろくでもない作品を生み出すことに全力を尽くしていきたいと思います。
 改めまして、今回は本当にありがとうございました。

 

 

 

最優秀エンタメ賞 選評

 

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『味噌からの自炊学 Ⅱ+B [麦茶ート式]』

 よくもまあここまでやったものであると呆れ半ばに称賛したい。「自炊学」という学問があったらおもしろいんじゃなか、という発想まではわからなくもない。しかし、それの参考書を作ってみよう、となるのはわけがわからない。しかも、これは二冊目である。わけがわからない。

 チャート式の参考書を真似た外装がまず目を引く。ページを捲ってみると、やはり参考書のスタイルを貫き書かれている。しかし、内容は徹底して馬鹿げている。ここで本作の著者たちは「参考書とは真面目なものである」という読者の先入観を逆手にとることで、内容のみによるもの以上の面白さを獲得している。デザインの妙を巧みに活用した好例である。

 不思議なもので、ひどくふざけ倒したこの内容でも、読了後には一つの学問を修めたような達成感があった。それもまた、最後までこだわりぬいたデザインの賜物なのだと思う。

 ハイライトは「第3章 カリー化」であろう。うんこの話を散々連ねた直後に『よだかの星』の全文を引用するという異常性も、参考書のスタイルを貫く本作においては奇妙に正しく映る。

 

 

『このマーガリンがすごい!』

 さすが大御所、装丁がプロのそれだ。普通に書店やコンビニの雑誌コーナーに置いてあっても、違和感は一切ないだろう。隅々まで目を通しても、知らない人は同人誌だと気付かないのではないだろうか。

 この圧倒的な取材量には、素直に敬意を抱く他ない。マーガリン53種食べ比べとは、思いついてもやりたくない。私は本作を読んでいるだけで胸焼けがした。

 一品ごと全てにつけられた丁寧なコメントからは、マーガリンへの深い愛情を感じる。陳腐な表現となってしまうが、他に言い様もない。基本的にはオーソドックスなものへの評価が高めだが、変わり種でも美味しいものには正当な評価がなされている。決して惰性ではなく、最後まで真剣にマーガリンと向き合い続けたのだろうというのがはっきりと伝わった。

 唯一残念に思ったのは、わかりやすいまとめ的ページがなかったことだ。いわゆるおすすめランキングのようなものが一ページ簡単にでもあると、より参考にしやすいのになと思った。

 

 

『for「Rain」』

 本作は架空の小説家による長編小説のネタ帳を模したものだが、読み進めるにつれ少しずつ作品と関係ない雑記なども含まれはじめ、終盤には不穏な描写もなされるようになる。読み始めた時には想像もしていなかった展開に、ひどく驚かされた。ラストの二文はかなり薄く書かれており、私は実は初読時には気付かず、空白のページなのだと思っていた。

 書かれる言葉が創作のためのメモなのか、小説の一文なのか、小説と無関係な日記なのかとわかりにくくなっていく過程を私は楽しんだ。終盤には、この架空の書き手自身が“だんだんネタ帳と日記の区分がなくなってきた”と記しており、本作の作者の意図したところであるのは確かだろう。

 本作において練られた小説の「本編」を読んでみたいとも思った。そういった意味でも、本作に含まれた試みはすべて成功しているように感じた。

 

 

【最優秀エンタメ賞 総評】

 ノミネート作品三作が、いずれも三作三様に装丁への強いこだわりを見せているのが面白い。

 参考書スタイルで一切の隙なくふざけ続けた『味噌からの自炊学 Ⅱ+B [麦茶ート式]』。書店に置いてあってもおかしくないハイレベルな装丁と、圧倒的な取材量によりその実力をいかんなく見せつけた『このマーガリンがすごい!』。長編小説のネタ帳という形を模しつつも幾種の試みを盛り込み、読者の想像を超えるような展開で心を打った『for「Rain」』。

 

 

 当選作は、紫水街、な゛、阿佐翠(神聖自炊帝国)『味噌からの自炊学 Ⅱ+B [麦茶ート式]』とした。

 「自炊学」という架空の学問を無理矢理に作り上げ、実在の学問を混ぜ込むことで奇妙な説得力を持った本作は、なにか偶発的に魔力らしき物さえ獲得しているような気がした。そして、それは人が狙い澄ますことでは決して得られないものなのだと思う。

 

 

 

最優秀詩歌作品賞 選評

 

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『オオオミアシノ、カンパネルラ』

 非常にスケールの大きな、シュルレアリスム詩編である。アルチュール・ランボーの影響を受けているのだろうかと少し思ったが、だからなんだということはない。この作品には確かな個性がある。

 現実にある何かを描いているのではないのだと思う。作者の頭の内、溢れかえらんばかりの想像を書き出したものなのだろうと私は読んだ。“青年は語るのをやめない”という一節はそれを示唆しているようにも思う。

 正直に言って、作品の「意味」はわからない。しかし、胸を打たれた。作品自体が理解されることを求めていないとき、読者にできるのは、ともかく何かを感じ取ろうとアンテナをひたすらに伸ばし続けることだけである。この作品には、そのアンテナを伸ばさせる強い力があった。私がかつてないほどにアンテナを伸ばした先、そこにしかない何かをたしかに受信したような気がする。まだその正体はつかめていない。

 

 

『納豆を2パック買ってこの町は海を潰して作られた町』

 最優秀詩歌冊子賞『水星たちの夜』の選評とおよそ被るため、失礼ながら割愛する。もっとも優れていると感じたこの一首を、こちらでもノミネートした。

 いかなる感情も、ここにははっきりと書かれていない。それでも読者の心には、そっと哀愁らしきものが浮かび上がる。

 

 

『手術前日』

 七首連作の短歌作品。

 病院の中にあるあの特有の息苦しさのようなものが、はっきりとした言葉ではなく、短歌と短歌の間の空白からじわりと滲ませるよう表現されている。それは、短歌そのものが孕む不穏さによって醸し出されるものなのである。

 手術前日に病室で手を繋ぐ“ふたり”を、結婚前夜のようだと見立てる切なさに心を強く打たれた。

 

 

【最優秀詩歌作品賞 総評】

 詩編と、短歌一首と、連作短歌がノミネート作品として並び、自分で選出しておいてなんだが、当選作の選考はひどく悩ましいものとなった。それぞれに武器とする要素も大きく異なり、ある意味ではたしかに面白くもあったが、やはり苦しみの方が強かった。

 

 当選作は、遠藤ヒツジ『オオオミアシノ、カンパネルラ』とした。

 詩とは、正体のつかめないものであっても良いのではないかと思う。

 作品を理解できないとき、読者はそれを見捨てることもある、何かを感じ取ろうと必死であがくこともある。この作品には、読者を後者へと導く強い力があった。それは実に、得難いものなのである。

 

 

 

最優秀小説作品賞 選評

 

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『ハッピーヒッピー』

 今回の小説作品賞ノミネート作の中で、最も魅力的に描かれたキャラクタは『ハッピーヒッピー』の色麻さんであると思う。この作品はおよそ二千数百字と比較的短いものの、女性の多い職場の中で軽視されながら、そんなことは意に介さず我が道を行く色麻さんという男の魅力を充分に描きあげている。本作に登場する女性たちの陰口はぞっとするほどリアルで、だからこそ、終盤の色麻さんの行動が読者の目には強く煌めいて映る。

 ゴディバのショコリキサーやハッピー・ヒッピーなどの都会的な小物は舞台に説得力を与え、かつストーリーの展開に繋がり無駄がない。

 先述の通り二千数百字と短い作品ではあるものの、短編小説の面白さが凝縮されており、読み応えのある作品だった。

 

 

『無題#1』

 この作品は元々twitter上で発表されたという「140字小説」である。当然、今回の最優秀小説作品賞ノミネート作の中では最も短い。しかし、その短さの中に物語がはっきりと構成されており、きちんと小説として成り立っている。下に記すあらすじで、字数の話は一旦置くとして、そもそもこの作品が情緒に満ちた素晴らしい小説であるということはわかって頂けるだろう。

「真夜中のオフィスビル、主人公は残業を終えた会社員。彼は外に出て、缶ジュースをぐいっと飲み干す。その時ふと眼に映った月の欠けた姿が缶に開いたプルタブ穴と重なり、自分が缶の底から小さな出口を覗き見ているような気持ちを抱く」

 このあらすじで、ある人は二千字の小説を書くだろう。またある人は四千字書き、別のある人は二万字書くだろう。しかしこの作者は、わずか百四十字以内で表現することを選び、それに成功している。

 この作品の特に優れたところは、文字に描かれていないもの、余白を想像する必要がないところであると思う。主人公の仕事は何だろうか? どんな人だろうか? “小さな出口を覗いているような気がした”この人物はこれから何をするのだろうか? 短い小説を書く人は得てして、そういった余白を読者に想像させるよう描写してしまう。もちろんそれが成功することはある。多いと言ってもいいくらいだろう。しかしこの作品は、そんな想像を読者に強要しない。ただ、描いているのだ。どこかにいる誰かがふいに抱いたささやかな気持ちを、ただ描いている。それ故に生まれるうつくしさせつなさを、この作品はしっかりとものにしている。

 

 

『祝福』

 この作品の特別な魅力は、なんと言っても、展開のスピード感に尽きるだろう。一段落で必ずひとつふたつと展開が進んでいく小説は、今回ノミネート作選定中に読んだ作品群の中でこの作品が唯一だった。ふつうの小説だと溜めて溜めて解き明かし読者にカタルシスを与えようと狙う設定を、一段落であっさりとばらしてしまう。通常ではありえないスピード感が、本作においてはその神話物語と妙に噛み合い、不思議な説得力を生み出している。

 文字数に対し異様なほど多い展開数の果てに辿り着くラストシーンも、また見事。“使うまいと決めていた忌々しい力”を使ってしまったアトゥールの姿は、それまで彼が憎んできた身勝手な女神たちの姿と重なる。それは一方で、彼と対面する女神ジートの姿がかつてのアトゥールと重なることとの対比になっている。

 それから彼らがどうなったのかはわからない。ただ、作者の頭の中には、これからの展開のイメージもあるのではないかと思う。のみならず、作中では詳しくは描かれなかった街の情景や人々の営みも、きっと想い描かれてはいるのだろう。その広大な世界から、たった一人の男の半生にだけ焦点を絞り物語をまとめ上げたことをこそ、私は評価したい。

 

 

『Vertigo』

 私はときおり、小説作品の最後の一文を読み終えて、無意識に拍手してしまうことがある。この作品を読み終えたときも、そうだった。

 この作品には構造として、一本筋通ったストーリー展開がない。近衛の周囲で起こる出来事を、断片的に描き続けている。謎が解かれるわけでもなく、恋が成就するわけでもなく、主人公が強く成長するわけでもない。佐藤の息子が失踪した事件の真実も、核爆弾が落とされた理由も、大迫という人物の正体もわからない。何も起こらない。近衛という人物の正体もわからない。様々な事件が起こり続けているはずなのに、何も起こっていないように見える。この奇妙な乖離感は、本作終盤の“世界は動いた。この街は動かない。”という一節により的確に表されている。

 この作品が描こうとしているのは、現代とか現実とか呼ばれている、あの不確かな概念ではないだろうかと思った。世界では当たり前に事件が起こり続けていて、そのすべてを見つめようとするにはあまりに広い。それ故か、私たちはしばしば目に映ったものへさえ興味を失う。そしてときおり、自分自身のことさえもが、興味の対象でなくなる。主人公たる近衛について、結局のところ何もわからぬまま作品が語られ終えるのは、その現象を示唆しているように思えた。

 唯一詳しく語られるものといえば、物語の舞台、埼玉県川口市である。本作はWikipediaからの引用という離れ技を用い、文庫本にして八ページ強を埋めている。この意味は何なのか。“ところで川口市では何が起こっただろう? 近衛が住む川口市の、この何もないベッドタウンでは、特に何も起きなかった。”と、本作は序盤で明言した。しかし、当然、何もないわけではない。五千字と少しをかけて語るだけの何かは確かにあるのだと、Wikipediaは証明している。それにも関わらず、川口市には何もないのだと本作は言う。

 様々な事件が起きているのに何も起こっていないように見える物語の中で、何かは確かにあるのに何もないように見える川口市について語られている。つまりはこういうことなのである。作者は意図して、この対応関係を作中に作り上げた。そのために、作者の言葉ではなく、作中人物の言葉ではなく、Wikipediaの言葉が必要だったのだ。誰かひとりの言葉ではいけない。あくまでどこかの誰かが語った集合体としての川口市の説明が必要だった。

 この作品では、描かれる断片と断片をつなぎとめるように、同じフレーズが幾度も繰り返される。このフレーズが終盤に来て作品をぐっと面白くしているのだが、そのことについてこの場ではこれ以上語らないこととする。既読の方には説明不要であろうし、未読の方には是非とも自身で本作を読んで確かめてみてほしい。

 作者の非常に高い小説技術が、小説でしか表現し得ない作品を作り上げた。傑作である。

 

 

『ネイルエナメル』

 この作品の優れた点を挙げていくとなるときりないが、なかでも突出したものと言うと、人間関係の揺らし方であると私は思う。

 この物語は、主人公の純子が抱く、クラスの中で“飛び抜けて大人っぽい”ナツへの憧憬を発端とし動き続ける。純子は勉強も運動も得意でない。本も読まない。恋人もいない。そういう場所から、彼女はナツへ追い付こうとあがく。得意な絵画を使って、ナツの幼馴染であるたくみくんを使って、果てには……。それらのクエストを通し、彼女はついにナツを追い越してしまう。だから、ラストシーンにて裏返った声で名前を呼ぶのはナツであり、純子でない。二人の関係性は、ラストシーンで逆転する。

 その過程、クエストの組み立てが非常に上手い。二人を中心とし、人間関係がめまぐるしく揺れ動き続ける。そしてその揺動は、純子が、ただナツに追い着くためだけに発生させたものなのである。「背徳」を見事に、実に見事に描いた作品だった。

 いささか展開が性急に過ぎるものの、補って余りある魅力に溢れている。とはいえこの作品は、二倍の文字数でもっとゆっくりと描かれていてもいいのではないかとも思った。

 また、個人的には、タイトルにもなっている“ネイルエナメル”がいまひとつ効いてこないのが残念だった。純子にとってナツのネイルエナメルが、たとえば『金閣寺』の溝口にとっての金閣のような存在になるのだろうかと予感しながら読み進めたが、そうはならなかった。

(それにしても、たくみくんはあまりにもかわいそうだなあ。と余談)

 

 

【最優秀小説作品賞 総評】

 奇しくも本部門のノミネート作品五作にはいずれも長さ、文字数がはっきりと違う作品が並んだ。私自身、ノミネート作品発表後に気付き驚いた。最も長い『ネイルエナメル』がおよそ六万数千字、大きく飛んで『Vertigo』が二万数千字。再度飛び『祝福』が五千字弱、『ハッピーヒッピー』はその半分程度の二千数百字。そして「140字小説」の『無題#1』。

 小説とは面白いもので、『ネイルエナメル』に対してはもっとゆっくりと語られてもよかったのでは感じたのに対し、『無題#1』にはこれ以上何を足しても蛇足であるような気がする。もちろん、扱う題材の違いであったり、そもそも物事とは知れば知るほど更に知りたくなるものだというのはわかっているが、今回の選考を通じ、小説というものの面白さを再確認できたように思う。

 

 当選作は、日谷秋三(Lousism)『Vertigo』とした。

 「現代」を描いた強いメッセージ性と、小説でしか表現できない作品を作り上げた作者の圧倒的な小説技術の二点、特に後者が大きな決め手となった。

 

 

最優秀詩歌冊子賞 選評

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『いまたべたいもののはなし』

 食事をテーマとした詩編と、関連する料理のレシピを組み合わせ一作とする試みがなされた詩集。

 言わずもがな、食事は我々の日々の営みにとって必要不可欠なものである。生きるためというものもちろんそうだが、どちらかというと本作が主題としているのは、精神にプラスの作用をもたらすものとしての食事だ。

 詩編はいずれも、どこか切ない空気を纏っているように感じた。それは例えるなら、独りで食べるために独りで料理を作ろうとするときの空腹感に近い。その空腹感は、料理を作り食べ終えてもなお、収まらないことがある。

 私は本作を読み終えて、やはり空腹感を覚えた。その作用をもたらしたのは、まぎれもなく詩編の力なのである。

 

 

『水星たちの夜』

 身体ではなく想いの良いところは、どこからどこへ跳躍してもそれを自然なものとできるところであると思っている。行き先がいかに遠くても、まったく異なる世界でも、想いだけはなんでもないことのようにひょいと移動する。

 この本はそういう、人の想いにのみ許される跳躍を実に奔放に目一杯楽しんでいる。サルトルからまぐろの目玉へ跳躍するとき、そこに案内はいらない。何故そこからそこへ跳んだのか、説明することはできないし意味はない。人の想いは、訳もなくただ跳ねまわり飛びまわる。

 その跳躍をそのまま作品にすることは難しい。しかし、この作品はあっさりとそれを実現してみせている。多くの人が思わずブレーキをかけてしまうところで、この作者は何の躊躇いもなくアクセルを踏み込むことができるのだ。

 真っ白な紙、一ページに三首ずつの短歌が並んでいる。このごくシンプルなデザインが、短歌そのものの魅力を引き立たせているように思う。

 

 

『次なる宇宙のために』

 確かな実力のある四人の詩人が、胸を張って立ち並んでいるシルエットがたしかに目に浮かんだような気がする。

 私はふだん、詩にせよ小説にせよ、いわゆるアンソロジー的なものをあまり好まない。複数の作家の魅力が響き合うということは稀で、多くの場合互いに邪魔しあっているように思う。しかし、この本は良かった。

 はじめに視野を異様なまで広げられ、徐々に焦点を絞り最後にはけつ毛というささやかなものを描くに至った本の構成が見事である。そしてそれは、示し合わされたものではなく偶然のことなのだろうと思う。それをこの形にまとめ上げたのは編者の手腕か。

 

 

『Eat on the midnight...』

 なんというか、とても自由な本である。詩編があって、小説があって、日記があって、写真があって、CDジャケットと曲名があって、Line(たぶん)のやりとりがあって……。この本を詩歌の冊子として取り上げてよいものかどうかという迷いはあったが、メインは詩編であると思いこうした。

 “夜の不思議な力をかりてぜひ、夜によんでほしいです。”と作者の言葉が記されている。この本の持つ自由さは、夜に見る夢によく似ているような気がする。言葉はどこか地に足付けておらず、ふわりと浮かびゆらゆらと遊んでいる。

 

 

【最優秀詩歌冊子賞 総評】

 ノミネート作品四作はいずれも詩歌特有の自由奔放さを申し分なく発揮しており、それぞれの個性豊かな言葉が好き放題遊んでいる。選考も楽しく行えた。

 

 当選作は、ちずぐみ(犬と南港)『水星たちの夜』とした。

 自由奔放に跳躍する人の想いを、短歌という形で実に見事に表現した手腕。そしてその非凡な跳躍力、発想力が決め手であった。

 

 

 

 

最優秀小説冊子賞 選評

 

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『元カレは皆、亡き者と思う。』

 この本を読んでいる間、ずっと私の胸はざわざわとしていた。三度目の通読でも変わらなかった。そして、三度読み終えてもなお、そのざわざわの正体を明確につかむことができなかった。

 本作では度々“メンヘラ”というワードが用いられる。意味について改めて説明する必要はないだろう。インターネット界隈ではすでに基本用語的に定着したスラングだ。「メンヘラ文学」というのも乱暴なジャンル分けだと思うが、この作品を端的に表現するならば、そうなるのだろう。「恋愛小説」と言うと、しっくりこない。

 主人公は、作中で何名もの人物と恋愛関係を築く。そして別れるたび、相手の名前を書いたアイスの棒をプランターの土にさし“埋葬”する。本人は清算のつもりで行っているのだが、読者としてはどうしても、逆に心に釘打つような行為に見えてしまうのが面白い。そもそもそれは主人公の過去の恋人が行っている行為の真似なのであるという時点で哀しくまた滑稽なのだが、同時に主人公の切実さ、本来的な一途さが見えてくるようで良い。ひとりひとりに専用のプランターを用意しているのが、まさにそれを示しているように思う。

 驚くべきは、この“埋葬”という良質なモチーフを、実質的にほとんど展開へと関わらせなかったことだ。この点に、作者のある種の無作為さが滲んでいるように思う。それは、この作品の強い魅力の一つである。連作短編集の形で書かれる本作は、全編通しての展開がいささかわかりにくい。おそらく、意図的にわかりにくくしているのではなく、作者が書きたいように書いた結果がこうなのであろうと思う。ふつうはマイナスに働くところだが、本作ではその無作為さこそが特有の感情の迸りに繋がっている。これこそが例のざわざわの正体だろうかとも思ったが、確信はない。

 そして、本作のあとがきは、その無作為さの産み出す最後のトリックとして機能する。たった一ページのあとがきが、一冊すべての見え方を変える。やられた。

 

 

『猫の都合をきいてきて』

 この作品について簡潔に表すとなると「恋愛小説」「旅行小説」「グルメ小説」「東北小説」「3.11小説」と様々なワードが思いつく。本作は実に多くの要素を、強い物語の芯とメッセージ性を持って「エンタメ小説」としてまとめ上げた快作である。

 物語のつくりは、よく読めば伝統的な冒険物語の構造と近しいことがわかる。主人公の抱えるある種の問題があって、キャラクタたちの行動を通じそれが解きほぐされていく。例えば『昼の相席』では、「SNSの発達した現代、直接会うことの意味ってあるんでしょうか」と悩む主人公に対し、本作のヒーローたる数井さんは「直接会わなきゃ、乾杯できない」という実にあざやかな解答を提示する。描かれるキャラクタたちに確かな人間味があり、エピソードの説得力に繋がっている。数井さんという人物の造形は、とりわけ見事である。

 「3.11」「震災との向き合い方」というのが、本作の主題であり、主人公せり子の抱える大きな問題のひとつである。彼女は仙台出身だが、震災の当時はすでに東京在住の期間の方が長くなっていた。そこで、ルーツの問題が生まれる。自身に、震災を悼む資格はあるのだろうかと強く思い悩む。

 このテーマは、言わずもがな、非常に重い。しかし、この小説は非常に巧みなバランス感覚でそれと向き合い、見事に解決の一例を提示してみせた。そしてそれは、作中人物だけでなく、彼らと近しい悩みを抱く読者にとっての解決へと波及する。

 それから、この作品の魅力を語るにあたって、「旅行小説」「グルメ小説」としての側面を無視するわけにはいかないだろう。これを読んで、東北へ行ってみたいと思わない者がいるか、ほやチンコをやってみたいと思わない者がいるか。いや、いないだろう。芋煮を食いたいと思わない者がいるか、ほやを食いたいと思わない者がいるか。いや、いないだろう。作者の東北への想いは、こういった点にこそ強く現れているのだ。

 

 

『初期微動継続時間』

 SF、青春、バイオレンス、落語リミックスなどなど……。一見統一感のない作品の並んだ短編集だが、通読してみると、不思議に一貫したものを感じる。これが個性というものだ、と断じてしまうのは軽率だろうか。

 全体として、良い意味でナンセンスの色が強い。目次にて作者本人が“バイオレンス&ナンセンス”と評している『レッドアイ・イン・ザ・バー』をはじめ、SF短編『飛翔!』や落語リミックス『死神異聞』『落語「井戸の茶碗」』などは変な穿ちもなく面白く読める。この「面白さ」の重要性が、本作を読むまで、私の頭からしばらく抜け落ちていたような気がする。屈託なく楽しめる小説、笑える小説。それを狙って書き成功するというのは、作者の高い技量あってのものである。感服した。

 特に、会話のテンポ感が突出して優れている。失意識教授と爆発宮大臣のやり合いは最たるものだろう。知識人たちが理性を捨てて単なる暴言を吐き始めるまでの流れが実に淀みない。まったくテイストの異なる二作品でそのまま登場するスター・システム的な遊びも面白い。

 最後に、これはごく個人的な気持ちであるが……。落語リミックスもいいけれど、是非ともこの人の書いた新作落語を読んでみたいと思う。願いが届けば嬉しい。

 

 

『Who is the Resurrection?』

 非常に実験的な短編集である。そして、その実験は成功しているのだと思う。

 小説でしか表現できないものとは何か、なぜ自分は小説作品として表現しているのか、という問題を小説書きは皆一度くらい考えるものである。漫画ではダメなのか? 映画ではダメなのか? そこで「小説じゃなくてもいいけど、自分に書けるのは小説だから」と言う答えに行きつく人もいるし、「小説じゃなきゃダメに決まっている! 今のところ説明はできないけど!」と潔く開き直る人もいる。もちろん、どんな答えも間違いにはならない。正答なんてものは存在しない。

 この作者は、おそらくその問題について考え抜いた果てに、この作品に辿り着いたのではないかと思う。つまり「小説でなければダメである。なぜならこの作品は、小説でしか表現し得ないからだ」という回答をしたのだ。

 本作で用いられる技法のひとつに、目まぐるしいまでの時系列移動がある(いまひとつしっくりこない言葉なのだが、いかんせん他を思いつかない)。軸となる「現在」の時間軸はあるものの、その語りの途中で突然に「現在」の語り手が知り得ない「未来」の情報を提示したり、または脈絡なく「過去」の話をし始めたりと自在に動き回る。それも、たとえば一段落の中、読者が息つく間もないようなテンポで。漫画や映画でこんなことをやっても、受け手は混乱するだけだろう。小説だけが、その技法を面白く扱える。

 他にも優れた技法が用いられているが、この場で語るのはこれだけにする。是非とも自身で読んで、発見してもらいたい。私自身、いまだ発見できていない仕掛けがいくつもあるような気がしている。

 

 

【最優秀小説冊子賞 総評】

 ノミネート作品四作、いずれも唯一無二の強い魅力があり、選考は困難を極めた。

 『元カレは皆、亡き者と思う。』は滲み出るその無作為さが奇妙な魅力として働き、読者の感情に面白くも不気味な作用をもたらした。『猫の都合をきいてきて』は、精緻に練られたプロットが確かなテーマ性を基に完成され、読者の意識に強く影響する。バリエーション豊かな短編たちが不思議と一貫性を持ち並んだ『初期微動継続時間』は、ただひたすらに面白い。『Who is the Resurrection?』は実験性を重視しつつも、小説の面白さを強調することに成功していた。

 

 最終的に、斉藤ハゼ(やまいぬワークス)『猫の都合をきいてきて』を当選作とした。

 普遍的でありながら難しい「3.11」というテーマを、必要以上に重くならないように、しかし決して軽くはならないようにと調整し上手くエンタメ小説の中に落とし込んだ作者の並々ならない技量の高さ。そして何より、ほぼ直接的に読者の意識を変え、実際の行動に影響させるような訴求力の強さが決め手だった。

 

 

 

 

 

 

 

各賞当選作発表

 

 お世話になっております。Debby Pumpです。

 

 「2017年文学フリマDebby Pumpアワード」各賞当選作が決定しましたので、以下にお知らせします。

 なお、各賞選評につきましては別記事としてアップロードいたします。リンクを参照してください。

 

●最優秀小説冊子賞

 斉藤ハゼ(やまいぬワークス)『猫の都合をきいてきて』

選評はこちら

 

●最優秀詩歌冊子賞

 ちずぐみ(犬と南港)『水星たちの夜』

選評はこちら

 

●最優秀小説作品賞

 日谷秋三(Lousism)『Vertigo』

選評はこちら

 

 ●最優秀詩歌作品賞

 遠藤ヒツジ『オオオミアシノ、カンパネルラ』

選評はこちら

 

●最優秀エンタメ賞

 紫水街、な゛、阿佐翠(神聖自炊帝国)『味噌からの自炊学 Ⅱ+B [麦茶ート式]』

選評はこちら

 

 

 当選作の発表は以上となります。

 

※「当選作」という呼称につきまして「その呼び方ではくじ引きで決め手いるようでふさわしくない。受賞作と呼べばよいのではないか」というご意見を頂きました。私としては特に違和感のない呼称でしたが、たしかに誤解の生まれそうではあるとご意見いただいて思いました。

 今回はすでに発表済みですのでこのままとしますが、次回以降は改める予定です。

(2018/1/4 追記)

 

<主催者より 閉幕挨拶>

  お世話になっております。Debby Pumpです。

 ふとした思い付きではじめた本企画、一応のところ無事に終えることができ、まずはほっとしております。選考にあてた時間が濃密に過ぎたためか、開催を発表してからたった一か月しか経っていないのかと思うと、どこか不思議に感じます。

 

 さて、本企画を行った意味とか、私の想いを少しだけ書かせていただこうかと思います。どうかお付き合いください。

 まず、この企画を通して、優れた作品がもっと知れ渡ればよいというのが第一です。たとえば、今後文フリに行った人が、今回のノミネート作を見つけて、そこに足をとめる理由になれば。たとえば、これまで文フリでたくさん買ってきたけど全然読めてないという人が、積読の中に今回のノミネート作を見つけて、まず一冊を読み始めるきっかけになれば。

 個人的には、文フリ出店者みんな、自分の名前つけたアワードを開催しちゃえばいいのになあと思っています。自分で本を探して買って、ちゃんと読んで、ノミネート作品を選出して、またちゃんと読んで向き合って、必死こいて選評書いて、受賞作を決めて……。っていうのを、みんなが当たり前にやるようになれば、間違いなく同人文芸の世界はより一層二層と面白くなりますよ。絶対に。

 まあ、とりあえずはこんなところです。言い忘れあったらTwitterで呟きます。

(あ、あと、よろしければ私の作品にもちらっとご興味頂けたら幸いです。「上から目線で表彰とか言うとった奴はナンボのもんなんじゃい!」という感じでも。恥ずかしげもなく言いますが、すごく良いんですよ。私の作品。ぜひ)

 

  それでは、快く企画にご賛同いただきましたノミネート作品の著者・作者の皆様、本企画をご紹介してくださった皆様、ご覧いただきました皆様、まことにありがとうございました。これにて、2017年文学フリマDebbyPumpアワードを閉幕致します。また来年も、どうぞよろしくお願い致します。

 

 Debby Pump

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 ご意見、ご要望等ありましたらお気軽にご連絡ください。

 基本的にはtwitterのDMあるいはリプライでいただけると助かります。